GROVE
鎌倉編「上書きの旅」
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鎌倉編「上書きの旅」




5月、晴れ、鎌倉。

駅の改札を出たら、初めての風景が広がる。

ロータリーで路線バスに乗り込む人たちやタクシー乗り場にできた行列、日常のありふれた光景なのに知らない土地だと全てが新鮮に見えてくる。


1年半付き合った彼とケンカ別れ。

「仕事で忙しい」と言って会えない間に他の女の子と遊んでいたのが私にバレた。

私より3つ上だった彼は仕事のグチとかワガママを「うんうん」っていつも聞いてくれてた。


彼の言い訳がどこまでホントかなんてわからない。許してあげようとも思った。

でも、友達の中には老後結婚しなくても1人で生きていけるように新築マンションのチラシを捨てない子だっている。

ウソをついた彼に立ち止まっているのもバカバカしい。だから、キッパリ別れることにした。


別れたはいいけど、どこへ出かけても目に映る景色は彼と一緒に見たものばかり。

2人で見たことがない景色がある場所に自分を置きたくなった。

欲張りな私には、海も山もある鎌倉がピッタリだった。

全部が初めましての街で1人旅デビュー。

新しい思い出をいっぱい作って、彼との思い出に1つずつ上書きをしていく。そう決めた。




にぎわう大通りから向かったのは鶴岡八幡宮。

女1人、お賽銭箱の前で長い間手を合わせる姿はかなりワケあり感が出る気がして「絶対にウソをつかない人と出会えますように」と心の中で一気につぶやく。

お正月と失恋の時だけ神だのみ。神様からすれば、なんてワガママな女なんだろう。


人の多い場所から離れたくて、境内の静かな場所へ。

ヒンヤリした日影から木漏れ日が作る日なたに出る度、やわらかな日差しが心地いい。

澄みきった空気をもっと味わいたくて深く息を吸い込んだ。






ひっそりとした境内を出て、今度は気の向くまま路地裏へと入り込む。

鎌倉を選んでなかったら、きっと一生通ってなかった道。

そう思うと、家の表札や塀、路上脇に置かれた自転車でさえ旅の思い出になっていく。

路地裏から賑わう小町通りに出たら、食べ歩きができるデザートたちが私を引き止める。

誘惑が多いほど、旅は楽しい。



なんて、なにかのCMみたいな言葉を思い浮かべていたら人力車のお兄さんとうっかり目が合った。

「1人旅ですか?」

バイトがてらサーフィンで使う筋肉を鍛えてますって感じの元気なお兄さんが笑顔で話しかけてきた。

「もう報国寺は行きました?絶対行った方がいいですよ」

「絶対ですか?ほんとに?」

鎌倉を知り尽くしたお兄さんがそこまで言うなら行くしかない。

楽しそうだから、人力車で連れて行ってもらうことにした。






道中、歴史が苦手な私にもわかるガイドのおかげで、目的地に着いた頃には、ちょっとした鎌倉通の気分になっていた。

「じゃあ、また!ステキな旅を‼」

「ありがとうございました!」

笑顔の彼は人力車を揺らしながら、にぎわう街の方へと戻っていった。






報国寺にある竹の庭へ足を踏み入れるとヒンヤリした空気が肌に触れ、神聖な雰囲気に自然と気持ちが引き締まる。

風が吹く度にざわめく笹の葉音が心地いい。

ついでに、もっと色々教えてもらえばよかった。

昔から甘えるのが下手で、いつも妹が羨ましかった。

でも、その代わりに何でも自分で決める性格が今は気に入っている。




江ノ電の鎌倉駅へ向かう途中、どこかで見覚えのある男性が歩いてくる。

あの人力車のお兄さんだった。

仕事中に着ていた純和風の姿もいいけど、私服はより爽やかに見えた。

「あー、さっきの!報国寺、どうでしたか?」

「はい!すごく気持ちよくて感動しました。ありがとうございます」

「これからどうするんですか?」

「ホテルに帰ろうかなって」

「よかったらご飯でも行きます?」

悪い人には見えないし、もっとオススメのスポットも教えて欲しい。

私は、少しだけ間を空けてから「いいですね、行きましょ」と返事をした。


夕暮れ前の鶴岡八幡宮。

駅に向かう人たちとすれ違いながら、参道を進んでいく2人。

連れて行ってくれたのはビルの地下にある隠れ家的なイタリアンダイニング。





お酒が弱い私はオレンジジュースで乾杯して、旬の鎌倉野菜を使ったバーニャカウダーをつまみながら改めて自己紹介。

「ジュンっていいます。よろしく」

「ユカです。今日は教えてくれてありがとう」

地元生まれの地元育ち、時間を見つけては海に入る、根っからのサーフィン男子クン。

私より1つ年下だけど、1人旅のワケを聞いてこないあたり男性として好感が持てる。

鎌倉で生まれ育った話や、犬派か猫派かなんて話をして時間は過ぎていく。

色んな話を聞く中、ふと思った。

付き合うまでのデートって互いの情報を出し合ったり、知りたいことを相手からひっぱり出す作業なのかもしれない。

合うか、合わないか…

もし合わない項目があった時、自分が受け入れられるかどうかを確かめるのが重要で、
大してひっぱり出さずに見た目に流されて付き合ったら、後々、価値観の違いでケンカになるのは目に見えている。

デートって大事。初めて気付いた。

もう1軒行こうと誘ってくれたけど、彼とお店でお別れした。




午後9時、宿にチェックイン。

館内はアンティークの家具で統一され、大正のモダンな時代から時が止まっているみたいだった。

お嬢様気分にさせてくれる広々とした洋室が、今日だけ私の部屋になる。

カバンから携帯の充電器を取り出そうとした時、ポケットにあるはずのデジカメがないのに気付く。

ふとカバンを床に倒した記憶が蘇り、私は急いで店に向かった。




1時間前まで私が座っていたテーブルには女子2人が赤ワインで乾杯している。

「すいません、デジカメってありませんでしたか?」

テーブルの下などを探してくれたが、それらしい物は見当たらない。

もしかしたら、ジュン君が見つけているかもしれないが連絡先を交換してなかった。

心当たりは他にない。

念のため、思いつく限りの場所を回ったけど、やっぱり見つからなかった。

1年半分の思い出が詰まったデジカメには彼との写真以外にも、親友との女子会や旅の写真が入っている。

気持ちが落ち着いたら、残す写真を整理するつもりだったけど、カバンに入れっ放しにしていたのは失敗だった。

拝観時間が終わり、誰もいない真っ暗な参道を歩いて私は宿へ戻った。






2日目、朝。

目を開けて、見慣れない天井を見た時、まだ旅の途中ってことに気付く。

ジュン君が働く人力屋さんを調べて電話したけど、定休日なのか誰も出ない。

彼との思い出だけ「上書き」する旅なのに残したい思い出まで「紛失」するなんて。

こうなったら、とにかく旅を楽しむしかない。

そう言い聞かせて宿を出た。


宿を出て江ノ電に乗り、長谷駅で下車。

大仏様と会う前に、宿の女将さんオススメの朝8時半からオープンしているカフェに寄り道。

住宅街をしばらく歩いて、民家脇の路地を進んでいく。

軒先に目印の看板を見つけて、なんとか辿り着いた。

パンケーキが名物みたいだけど、高級食パンとベーコン、スクランブルエッグが陶器の和皿に乗って出てくる限定メニューのモーニングセットを注文して、女子力高めの朝を過ごす。






カフェから鎌倉の大仏様まで、歩いて15分。

食後の運動にはピッタリの距離。

山の手へ歩く私の背中を海からの潮風が押してくれる。

大仏様とご対面した後、裏道で見つけた手作りアクセサリーのお店や坂道の途中にあった雑貨屋さんを巡っていく。




そういえば、ちゃんと海を見に行ってなかった。

下り坂の勢いに身を任せた私は、一気に海岸線まで飛び出して波音を聞きながら歩き始めた。




午後2時、海岸線沿いで見つけた白いホテルのような3階建ての建物。

バーベキューやヨガもできる施設の中にカフェを見つけて、海を見渡すテラス席でちょっと遅めのランチ。

メニューに並ぶアボガトとサーモンのベーグルサンドや欧風カレーが私を悩ませる。

彼がいた頃なら、2つ選べたのに。

ちょっとしたことでも、2人の間でなんとなく決まっていたルールが顔をのぞかせる。

食後のアイスコーヒーを飲み終えても決まらない旅の行き先。

そろそろ戻ろうかな。






歩いてきた海岸線を引き返す私の後ろで聞き覚えのある声が響く。

「おーーーーい!」

振り返るとジュン君が息を切らして走ってくる。

「はぁはぁ、よかった。これ、キミのでしょ? テーブルの脚元に落ちてたよ」

昨日、お別れした後にデジカメを見つけた彼は、ずっと私を捜し回ってくれていた。

「ほんとにありがとう!ごめんね」
恩着せがましくなるのがイヤだったのか、連絡先だけ交換すると、別のバイトがあるからと帰って行った。




彼を見送った私は、受け取ったデジカメをそのまま握りしめて、高台の堤防から、砂浜へ続く階段をゆっくり下りる。

波がかかるギリギリのところまで近付いてみた。

打ち寄せる波音だけが聞こえる世界。

これを海に投げたら、写真のデータと一緒に、彼との思い出も全部まとめて私の中から消えてしまえばいいのに…

思い出を「上書き」していくより、記憶をリセットできるなら、そっちの方が楽に決まってる。



思い出を「上書き」していくのは、データを書き換えるみたいに簡単じゃないのもわかってる。

でも、やるって決めたから。この旅から始めたから。
心の中でつぶやく私の目から涙がこぼれていく。
きっと涙は思い出が消えた時じゃなくて、消そうとしてる時に出るんだ。

しばらく海を眺めていた。

潮風に吹かれ、涙が乾いていく。私は駅に向かって歩き始める。

「さっ、ジュン君に電話しようっと」


Fin